カラーシャ族の春祭り・ジョシと その音楽 小島令子 藤井知昭(監修・編)『儀礼と音楽II』〈民族音楽叢書5〉東京書籍 pp.43-64 |
本稿で取り上げる「ジョシ Joshi」は、例年5月13日から16日にかけて、4日間にわたって開催されるカラーシャ族1 Kalasha の春の祭りである。
カラーシャ族は、パキスタン北西部のチトラル県で半農半牧を営む人口2000人ほどの少数民族で、ヒンドゥークシュ山脈の3つの谷2を居住地としている。周囲はすべてイスラム社会となっているが、カラーシャは独自の多神教を信仰していて、谷の各所でまつられている神々の祭壇や神殿で、大小さまざまの祭りや儀礼をおこなう。大きな祭りのほとんどに歌や踊りが伴うため、社会生活の上で、音楽が欠かせないものとなっている。
ジョシは、4月上旬の「キラサーラスKilasaras」(農耕の開始)、8月下旬の「ウチャオUchau」(収穫の開始)、12月中旬の「チョウモスChawmos」(冬の生活の開始)と並ぶカラーシャの4大祭りのひとつで、あわただしく続いた春の農作業が一段落し、高地の放牧地へ家畜を上げる少し前の、春から初夏へと移り変わる時期に催される。長い冬の間から、カラーシャたちはジョシでうたい、おどることの楽しさをしばしば話題にし、新しい歌を創作して準備するなど、音楽にあふれたジョシを心待ちにしている。しかもその音楽が、ジョシでは祭りの進行上、儀礼と並んで非常に重要な役割を果たしている。
本稿では、あくまでも音楽を中心とした視点から各行事の展開を見つめ直し、祭りとしてのジョシの意味を考察してみたいと思う3。
最初に、カラーシャの音楽について、簡単に解説しておきたい。
カラーシャの音楽の中心は、太鼓の伴奏・歌・踊りが一体となった「チャー cha」「ドゥーシャクdushak」「ダジャイーラックdrajahilak」という、3種類のパフォーマンス4である。これらに共通するのは、ワッチ wachという砂時計型両面太鼓と、ダウdahuという筒型両面太鼓が一対で伴奏として用いられることで、この2人の太鼓奏者のすぐ横に、歌い手が5人から10人ほど集まって輪をつくり、数百人にもなる踊り手たちが太鼓と歌い手を囲んで歌の一部をうたいながらおどる、という形態をとる。
各パフォーマンスの違いが最も顕著に現われるのがリズムとテンポで、チャーはリズムにのっておどる、踊り主体のパフォーマンスであり、ダジャイーラックはその反対に、歴史や伝承などを物語る、歌詞に力点が置かれたパフォーマンスである。そしてドゥーシャクは、両者の中間的なものといえるだろう。
【表1】
踊り | 歌唱形態 | 旋律と歌い方 | ||
チャー | 単独あるいは3〜5人で肩を組み、ぐるぐる回転しながら歌い手の周りをまわる。速いステップ | ひとつの主題を、1フレーズずつ交代で即興していく。フレーズ最後の決まり文句だけ合唱する | 半音からなる2音旋律が基本。下行旋律が強調される | 1フレーズが短く、歌詞をたたみこむようにうたう。即興部分は語りに近い |
ドゥーシャク | 5〜10人ずつ肩を組んで列になり、内側を向いて歌い手の周りをまわる。速いステップ | まず、独唱が行なわれ、つづいてその歌詞を合唱する。これを3回繰り返したのち、独唱者を讃える即興と最初の歌詞の合唱を交互に繰り返していく | 1フレーズはチャーより長い。歌詞をたたみこむようにうたう | |
ダジャイーラック | 20〜30人ずつ肩を組んで列になり、内側を向いて歌い手の周りをまわる。ひじょうにゆっくり動く | 1フレーズがかなり長い。母音を延ばして、非常にゆっくりしたテンポでうたう |
【太鼓のリズム】
●ドゥーシャク
●ダジャイーラック
歌の旋律はそれぞれで異なっているが、三者に共通するのは、半音を構成する2音、例えばE音とF音との間を往復する2音旋律が基本となり、特に上の音から下の音に下行する、下行旋律が強調されるということである。歌詞は、代々伝承されてきた固定的なものと、その場で即興されるものとがあるが、歌の旋律は各々のパフォーマンスのなかではほとんど同一といってもよい。そのかわりに、歌い手一人ひとりのヴァリアンテが許されている。歌唱形態は、一人が音頭をとると、他の歌い手たちがそれに合唱していくというものだが、皆が声を合わせて同一の旋律を同一のタイミングでうたうのではなく、一人ひとりが思いのままに、自分のヴァリアンテをうたっていく。したがって、パフォーマンス全体としては、ヘテロフォニーといえるような音高や旋律のずれが生じ、全体として聞くと非常に多重的な響きとなることが大きな特徴となっている。
筆者が参加したのは、1989年の5月13日から16日にかけて、カラーシャが住む3つの谷のひとつ、ムンムレット谷 Mumuret で行なわれたジョシである。
ジョシに関しては、言語学者のモルゲンスティールネが1929年に訪れて以来、幾つかの報告があるが、どれもルクムー谷 Rukmuのもので、ムンムレット谷のジョシ5については、いまだにまとまった研究はなされていない 。二つの谷のジョシは、全体として見れば類似点も少なくないが、歌の歌詞や内容がかなり異なり、特に祭りの式次第にも大きな違いが見られる。表2にあげたのは、ムンムレット谷のジョシの日程表である。
【表2】
日 | 時間 | 行事 | 場所 | 歌の種類 |
1日目 | 昼 | プーシェン (花集め) |
野辺 | ジョシの歌 |
夕 | ゴシュティーレイ (牧畜儀礼) |
各村の祭壇 家畜小屋 |
− | |
2日目 | 朝 | シンバーイ (飾りつけ) |
各村の神殿・住居 | − |
午前中 | チーリックピピ (乳集め) |
村域内の各家畜小屋 | ジョシの歌 | |
3日目 | 朝 | グイパリック (産みの穢れ落とし) |
各村の祭壇・神殿 | − |
昼 | 小ジョシ (歌と踊り) |
各村→バトリック村 | 3つの踊り歌 ジョシの歌 |
|
4日目 | 昼 | 大ジョシ (歌と踊り) |
各村→バトリック村 | 3つの踊り歌 ジョシの歌 |
夕 | ガッチ (祈願) |
バトリック村 | 祈り歌 ジョシの歌 |
4日間にわたるジョシは、女の子たちが野辺に出て花を集める行事「プーシェンPushen」で幕をあける。
このころ谷間のあちこちで、ビーシャbisha というマメ科の低木が鮮やかな黄色の花をつける。プーシェンは、女の子たちがこのビーシャの花を、うたいおどりながら集めにでかける「花集め」の行事である。主役はあくまでも女の子たちで、太鼓を叩く役目の男の子たちを従え、村単位で集まって遠くの野山まででかけていく。薮をかきわけ、山の急斜面をのぼっていく最中も、歩調にあわせて歌をうたい、男の子たちに太鼓を叩かせておどる。ビーシャが咲いているのを見つけると、歓声をあげながら群がって、花を摘む。
プーシェンの歌はどれもチャーの歌の一部をとり出して独立させたもので、軽快でリズミカルなテンポでうたわれる。旋律は、長2度上の音が加わってはいるものの、チャーの下行する2音旋律が基本となっている。踊りは、3、4人で肩をくみ、ぐるぐる回転したり、『花いちもんめ』のようにお互いに近づいては離れたりする、動きのあるものである。
酸っぱいキラをおくれよ
ヤギ番のお兄ちゃん
キラよ、キラよ
家畜小屋を花で飾りなよ
これはプーシェンでうたわれる『酸っぱいキラ』の歌詞であるが、キラkilaとは、ヤギの乳が豊富に得られたときにだけつくられる特別なチーズのことで、キラをつくれるほどヤギが大量に乳をだすこと、つまり牧畜の豊穣が、歌をとおして願われている。
ビーシャの黄色い花を腕いっぱいに抱えて戻ってきた女の子たちは、村の入口でクルミの若葉も集め、村に入ってくる。
その日の夕方、男たちだけが家族単位で家畜小屋に集まって、ゴシュティーレイGosht- iley」という牧畜儀礼をおこなう。沐浴をして身を浄めた状態で搾られた聖なるヤギの乳が、それぞれの家畜小屋の近くにある神の祭壇に運ばれ、家畜の安全や果実の豊作などが祈られる。その後、家畜小屋でも同様の儀礼がおこなわれるが、秋から冬にかけて家畜を守っていた神を送り、新たに夏の守り神を迎えるのが、この儀礼の主題である。さらに男たちは聖なる乳でつくった粥を会食し、深夜にはヤギの群れが聖なるネズの枝を燃やした炎で浄められて、家畜小屋全体が、きわめて聖なる状態に高められる。
牧畜はカラーシャの経済や食生活を支える大きな柱であり、ジョシが終わると牧童たちは家畜を連れて山の奥地の放牧地に上がって、秋までそこで生活する。ゴシュティーレイは、本格的な牧畜作業の開始を告げる儀礼として、非常に重要な意味をもっている。
2日目はまだ暗いうちから、村中を花で飾る「シンバーイShinbahi」がおこなわれる。
村には、各氏族ごとに女神ジェシュタクの神殿が建てられているが、前日女の子たちが集めてきたビーシャの花を、クルミの葉とともに、神殿の軒先に飾っていく。さらに各家や家畜小屋なども飾られ、村全体が華やいだ、黄色と緑の鮮やかな色彩に包まれる。子供たちが春を象徴するビーシャの花を野辺から運んできたことで、春が訪れたことが視覚的に強調され、待ちのぞんでいたジョシの到来を確実に意識させる。
シンバーイに続いて、「チーリックピピChirikpipi」が始まる。これは、女たちが総出で、村の各所に点在する家畜小屋をうたいおどりながらまわり、一日かけてヤギの乳を集める行事で、この日は子供に混じって年配の女たちもそろって参加する。当然、踊りや歌も前日より一段と盛り上がる。中心となる『チーリックピピ』の歌は、『酸っぱいキラ』と同一の旋律をもち、この2曲が続けてうたわれることも多い。花で飾られた家畜小屋につくと、女たちは大声をはりあげてうたい、牧童に乳を催促する。
家畜小屋にいったよ、いったよ
乳を飲んで、こんなに大きくなったよ
コブ牛よ、お前はどこにいる
あそこの繁みでビーシャの根っ子をかじってるのか
あそこの繁みでカンダの根っ子をかじってるのか
ここで分配されるヤギの乳は、ジョシが開始される10日前から毎日この行事のために貯めてこられたもので、身を浄めて聖なる状態で搾乳された聖なる乳である。前夜のゴシュティーレイで浄められた家畜小屋において、儀礼や粥の会食に参加できなかった女たちにも聖なる乳を分配することで、男たちが儀礼で得た「聖」が女たちに分け与えられることになる。さらに村中の家畜小屋から集めた乳が混ぜられることで、所有するヤギの頭数にかかわらず、皆が平等に乳が飲めることにもなり、家族間の交流や結束も暗示される。
3日目の朝には、「グイパリックGulparik」という、赤ん坊とその母親を浄める儀礼が、やはり村ごとにおこなわれる。
カラーシャの社会は、浄・不浄を非常に強く意識するが、月経や出産の穢れが特に重要視され、この期間女たちは産屋に隔離される。出産後に家へ戻ってきてからも、家畜小屋に近づいたりすることは禁じられ、家事の一部や農作業にもタブーが科される。以前の日常生活に戻るために、何段階かの浄めの儀礼を経なければならないが、グイパリックはこの浄めの最後の段階にくる儀礼で、前年のジョシ以降に出産した者は残らず参加する義務がある。ジョシの時期に最終的に穢れが解かれるのは、これ以後畑仕事などが忙しくなり、女手が足りなくなるという、現実的な意味からであると思われる。
儀礼はまず、各村の主神の祭壇で男たちによっておこなわれる。儀礼を受ける赤ん坊の父親たちは、特別につくられた篭にクルミとクワの実を入れて祭壇に行き、子供の健康を祈願する。このとき聖なる乳が祭壇にふりかけられるが、続いてその乳が集まった村の女たち全員にふりかけられる。最後に女神ジェシュタクの神殿のなかで、赤ん坊を抱いた母親にも乳がふりかけられ、祭壇から持ち帰ったクルミとクワの実が分配されて、グイパリックは終わる。女神ジェシュタクは出産と育児を司る女神で、地母神でもあるのだが、このときまで母親も赤ん坊も神殿の内部に入ることは許されていない。
ここまでの行事は、各村でそれぞれ家族単位や氏族単位、村単位でおこなわれてきたが、これ以後は「小ジョシChuchak Joshi」と呼ばれ、共同体全体としての行事が始まる。
ムンムレット谷には、川に沿って五つの村があるが、まず川下の2つの村の者たちが合流して、うたいおどりながら真ん中のブルーア村 Brua へと集まってくる。そして、ここで初めて大人の男たちが歌の主役となり、太鼓の伴奏のもと、3つのパフォーマンスが本格的に展開される。
まずうたわれるのが、『シャーラ来たり』というチャーである。シャーラ sharaとは、カラーシャが神聖視している野生のヤギ(マークホール)のことで、春の雪解けにつれてしだいに標高の高い山奥へと登っていく野生のヤギの勇姿が、地名を挙げながら、故事や美辞麗句を巧みに織り込んで、讃美される。家畜化されたヤギが失ってしまっている生命力や力強さにあふれた野性の素晴らしさを讃えることで、家畜の豊穣が願われるのである。
シャーラ来たり
下のマカコールより列をなし
見事なる角の影落ちたり
シャーラ行きたりマジャムの牧に
神と人の混じりし時
潤沢なる毛並み
踊り手たちは、「ライラロー」と声をだしたり、『酸っぱいキラ』の一節をうたったりしながら回転し、歌い手たちの周りをまわっていく。 続いて、ジョシの到来をうたうドゥーシャクがおこなわれる。
ジョシの来た里よ
シーチンの花が呼びかける
ここにおいで
私のもとにおいで
私の香りをお前にあげよう
シーチンは春に咲く芳香の花である。「きょうはどこそこでシーチンが開いた」という情報に人々は関心を払い、川下へ行った者が持ち帰るシーチンの枝を競って手に入れようとする。春が川下からしだいに登ってきて、ついにシーチンの香りが村に満ちあふれると、ジョシが到来する。この歌には、春の美しさと喜び、そして自分たちの土地の恵みの豊かさに対する自負、さらにはカラーシャであることの誇りさえも感じられるように思う。
このあたりから、外国やパキスタン国内からやってきた観光客の姿が目立ちだす。
バトリック村Batrikは、ブルーア村のすぐ上にあり、川の本流から小さな支谷に少し入ったところに位置している。人口は最も少ないのだが、神格の高い神々の祭壇が村域のあちこちにあるため、特別に聖なる村と考えられている。
昼過ぎ、ムンムレット谷に住むカラーシャの大半が、一旦、バトリック村の対岸にある広場に集結し、より大規模に、チャーをはじめとする3つのパフォーマンスを繰り広げる。そして、ひとしきりうたいおどったあと、全員がクルミの枝を手にして対岸の広場と村を結ぶ小径に集まり、『ガンドーリ Gandoli』をおこなう。
『ガンドーリ』はジョシだけで演奏される特別なチャーで、カラーシャがかつて住んでいた土地の地名をひとつずつうたいあげていくものである。以前カラーシャは、チトラル県全域を居住地としていたが、13世紀ごろより数次にわたって侵入してきたイスラム王朝により征服され、ほとんどの者が改宗して、言語も文化もイスラム教徒に同化してしまった。現在では、カラーシャが住むのは3つの谷だけで、わずか2000人の弱小民族となっている。『ガンドーリ』ではかつてのカラーシャの栄華が讃えられ、その勢力が誇示される一方、イスラムの脅威が意識され、それに対するカラーシャの結束が促される。
『ガンドーリ』は、60にものぼるフレーズからなる長い歌で、チトラル県を南北に貫くクナール川の川下の土地から順々にさかのぼってムンムレット谷に入り、最後には谷の最奥の土地へとたどり着くまでをうたう。歌詞は、最も上流の村に住むある家族の長子に代々受け継がれていて、歌い手が地名を挙げて前半部を独唱すると、男たちが1フレーズずつ最後の乳の豊穣を願う部分を合唱していくという形態をとる。女たちは男たちと離れ、女だけでかたまってこの部分を合唱する。それぞれ春の成長力を象徴する若々しい緑の葉をつけたクルミの枝を手にもち、それをふりながらうたう。
ナーリとアスマールを飾れ
おお ガンドーリよ 乳よ豊かなれ
シディの家畜小屋の長大な囲いも飾れ
おお ガンドーリよ 乳よ豊かなれ
ブラシンゲ氏族の美しき神殿も飾れ
おお ガンドーリよ 乳よ豊かなれ
チャーなどの3つのパフォーマンスでは、参加者全員が一体となってうたうことはなかった。しかしこの『ガンドーリ』では、子供から老人まで含めた5つの村のカラーシャすべてが、狭い小径に肩を寄せあってうたう。踊りがないために空間は静止し、祈りの歌だけが祭りの場にあふれる。このとき、外国人やイスラム教徒らは、遠ざけられる。
しばらくすると歌の列がゆっくりと動きだし、全員が村の広場へ移動すると、女たちが川下の3村と川上の2村のふた手に別れて渦巻きをつくってその大きさを競いあう『シャンガーイックShangaik』が始まる。広場いっぱいに女たちの大きな輪が2つでき、交互に輪を開いたり閉じたりしながら、渦の中心で『ガンドーリ』をうたいつづけている男たちを締め上げていく。
その後も、夕方暗くなるまで3つのパフォーマンスが繰り広げられていくが、これまであまりうたわれなかった長いダジャイーラックが次々と始まる。ダジャイーラックの歌詞はストーリーをもち、氏族の歴史や伝承をはじめ、死者の栄光や悲恋まで、さまざまな内容がうたわれる。1時間以上も続く場合も珍しくない。このジョシのための新作も披露されるが、人々を感動させる「美しい」歌を創作した者は、栄誉が讃えられ、その歌は代々うたい継がれる。踊りの場に参加することは、これらの神話や故事などを聞く機会でもあり、文字をもたないカラーシャにとっては、歴史を語り継ぐ重要な意味を持つ。
いざ讃えん そなたたちを
耳を澄ませ ラジャワイ王の子孫たちよ
祖先は 王として君臨なされ
美しく変えたもう バトリックの聖なる村を
聖なるネズの煙で 村を浄めしゆえに
影となりたもう すべてのカラーシャの
ダジャイーラックでは、カラーシャの音楽の特徴であるヘテロフォニーが、最も顕著にあらわれる。同一の歌を一緒にうたうという行為をとりながらも、厳密な意味でそれを組織的に秩序だてる決まりごとや、パフォーマンスをとりしきるリーダーが存在しないため、人々は自分勝手な音高、タイミングで歌をうたう。そのため、歌い手同士、踊り手同士の旋律がずれるだけではなく、歌い手と踊り手の間でもずれが起こり、全体的としては、すべての旋律の間にずれが生じて、非常に多重的な響きとなる。さらに太鼓のリズムや、身につけている鈴や装身具などが発する響き、反響、足音などが混然一体となって加わりあらゆる音が同時に並行して鳴り響いている音響空間が、祭りの場に出現する6。
このことは、そのままカラーシャの社会にもあてはめることができる。強力な統率者はなく、直接民主制といえるような形で共同体が運営されているカラーシャの社会では、力のあるものは誰でも発言権がある。司祭と呼ぶような者もなく、神への祈りが捧げられるときも、一人ひとりがばらばらに祈る。このような社会の在り方が、音楽にも反映され、それがヘテロフォニーといえるような音楽を生み出しているといえるのではないだろうか。
ジョシの最終日は「大ジョシGona Joshi」と呼ばれ、前日の小ジョシと同じように、各村でうたいおどったあと、バトリック村に集結して再び歌と踊りが繰り返される。大ジョシでは、小ジョシにはなかった、新たな歌もある。そのひとつが『ガッチGach』である 。
『ガッチ』とは太鼓の「聖なる」変則的なリズム7のことで、女には絶対聞かせてはならないし、外国人やイスラム教徒はもちろん、他の谷のカラーシャにさえ聞かせてはならないという。「聞いたものは必ず不幸に見舞われ、聞かせた方にも災いがある」といわれ、このリズムをたたく役目は、最も川下の村のある家族だけに代々受け継がれている。
『ガッチ』がおこなわれるのは、日も沈み、いよいよジョシが終わるころである。少年たちがナシの枝を集めてきたところで、男たちは女から離れた畑に移動する。そして太鼓のリズムを聞きながら西の方を向き、ナシの枝をうちふりながら天をあおいで、特別な旋律で「オー」という声をだしながら、牧畜と農耕の豊穣を祈って、願をかける。少し離れたところでは、ひとりの男が聖なる乳を播く。
その間村の広場では、女たちが太鼓の音が聞こえないように大きな声を張り上げて、4つの遊び歌をうたい、おどる。旋律も、他のジョシの歌にはない独特なもので、長2度+長2度の3音旋律が、リズミカルな短いフレーズで繰り返される。
ミウマオおばあちゃん
これをあんただけが食べなさい
私には別のをおくれ
これは2番目にうたわれる『ミウマオMiumau』の歌詞であるが、女たち全員が数人の老女を囲んで1つの輪になり、「あげないよ」といいながら輪を切って逃げようとする老女を、みんなで妨げようとする。この他にも、鎖のようにつながってぐるぐるまわったり、幼い娘を母親が肩車をしておどったりと、踊りというよりはゲームと呼んだ方がふさわしいような楽しい遊びが、広場いっぱいに展開される。女たちは冬の間から、ジョシでこの4つの歌をうたい、おどることを楽しみにしてきたのである。
男たちが非常に厳粛な儀礼をおこなっている傍らで、女たちはその聖なる雰囲気と競いあうかのように、にぎやかな遊びに熱中する。聖/俗、男/女、儀礼/遊び、静/動、統一/混沌、排他的/包括的など、ここには幾つもの対立が現われているが、音楽はそれらの対立関係をきわめて鮮やかに演出するという、重要な機能を果たしている。
『ガッチ』をしながら、ナシの枝を手にした男たちは広場へと静かに進み、女たちに近づく。女たちもナシの枝をふりながら迎える。しばらく枝を手にして向きあっているが、『ガッチ』が終了したとたん、一斉に枝が高く投げ捨てられ、チャーになる。男たちは再び女に混じってうたい、おどりはじめる。
このチャーに続いて、いよいよジョシのクライマックスである『ダギナイ Daginai』が始まる。ダギナイとは“悔い”を意味し、次のような悲恋物語をうたったものである。
昔、バトリックに住む男がある女と結婚したが、その妹と恋仲になってしまった。
それを知って嫉妬した妻は、夫が放牧地に行っている間に、妹をヘビの毒で殺してしまった。
男が村に戻ると、恋人は毒のせいで、ビーシャの花の色のようにまっ黄色になり死んでいた。
彼は悲嘆にくれ、秋祭りで『ダギナイ』の歌をうたってから、棺に眠る遺体に剣を突きたて、その上に身を投げて自殺した。
剣先は背中に突き抜けた。
人々はふたりを別々の棺に入れたが、翌日男は恋人の棺の中に入っている。
再び棺に戻したが次の日も恋人の棺の中にいた。それほど2人の絆は強かった……。
カラーシャはダギナイ8を「最も悲しく、かつ美しい歌だ」といっている。なぜこのような悲しい歌が、楽しいはずの祭りの場でうたわれるのかと聞くと、「それが深く心をゆり動かすからだ」と答える。「ただ楽しいだけでは、祭りではない。心から感動を味わってこそ、祭りの意味がある。感動を呼ぶ重い歌が祭りにはふさわしいのだ」という。
『ダギナイ』は、旋律や太鼓のリズムはチャーであるが、踊りは『グランズイラックGranzuilak』という特別のスタイルでおどられる。男も女も、ヤナギの枝で編んだ輪を握り合ってひとつの長い鎖につながる。ヤナギの輪を使用する理由は、「この踊りは聖なるも のなので、列が切れるとよくない。輪があればしっかり握りあえるからだ」という。先頭のものはスキップしながら広場をジグザグにゆっくりと進んでいくが、後に続く者たちはわざと立ち止まったりだしぬけに進んだりして激しく動き、手がちぎれそうになるまで互いに強く引っぱりあう。そして、歌が終了したとたん、全員がヤナギの輪を空に向かって高く放り投げて、共同体としてのジョシの行事は全て終わりになる。
この後も歌好き、踊り好きの者たちが残って暗くなるまで歌と踊りが続けられるが、最後に人々は家路につかせるためにうたわれるのが、『酸っぱいキラ』である。
この歌は、女たちが花集めや乳集めのときに歩きながらうたったり、チャーのときにおどりながらうたったりしていたものだが、改めて大人の男たちによって本格的にうたわれる。ただし、太鼓はチャーのリズムを刻むが、歌は即興でひとつの主題を展開していくというチャーのスタイルではなく、決められた歌詞をうたいついでいくという、ドゥーシャクに近いような形をとる。
前述したように、キラという特殊なチーズをつくるのは、ヤギの乳が豊富に得られたときに限られるが、それには天候が安定し、家畜の病気や事故もなく、順調に家畜たちが育たなければならない。キラは、カラーシャの誰もが切に願っている、牧畜の豊穣の象徴なのである。ジョシの初日から断片的にうたわれてきた『酸っぱいキラ』が、ここで初めて正式な歌として登場することで、ジョシは締めくくられる。
ジョシが終わると気温がぐんぐん上昇して、季節は急速に夏へと移っていく。家畜を連れて放牧地へ上がったり、畑の近くにある小屋に移り住んだり、人々は村を離れ、家族がばらばらに過ごすことも多くなる。忙しい夏の生活が始まる直前、足早に通り過ぎる短い春の最後に、共同体の成員が一同に会しておこなわれるのが、ジョシである。ジョシでは何よりも「春」がテーマとなり、花・乳・牧童・成長・恋など、春を象徴するようなモチーフがどの歌にも織り込まれて、カラーシャたちは春の喜びと開放感を全身で表現する。共にうたい、おどることで、共同体としての結束が深められる。
社会生活上では、ジョシは本格的な牧畜の開始を告げるという機能を果たしている。ゴシュティーレイの儀礼や乳集めの行事はもちろん、さまざまな歌のなかでも、家畜や乳などの牧畜に関するモチーフがうたわれる。その典型が、『酸っぱいキラ』であろう。花集めや乳集め、チャーの踊りなどで常に女たちがなにげなくうたってきたこの歌が、最後に男たちによってうたわれた時、ジョシという祭りの「通奏低音」のように流れている「春」と「牧畜」という2つのテーマが、はっきりと浮び上がってきたように感じられた。
ジョシの音楽は、単に遊びや娯楽として、祭りに付随するものとしてうたわれるのではない。『ガンドーリ』や『ガッチ』で、民族としての誇りやアイデンティティの確認が強くうたいあげられるだけではなく、『酸っぱいキラ』などの小さな歌も、祭りの行事のひとつひとつを支える重要な役割をになっている。4日間にわたっておこなわれる祭りの式次第そのものが、音楽によって構成され、音楽が儀礼として機能しているのである。そういう意味で、音楽そのものが祭りとなっている。それがジョシである。