“異教徒”の里・カフィリスタン
国境の谷に眠る岩絵を訪ねて


丸山純

『山と渓谷』1985年5月号 pp.28-31




 みるみるうちに地面が迫ってきて、私を乗せた40人乗りのターボプロップ機は、激しくバウンドしながらチトラルの空港に着陸した。ペシャワールを発って約50分。ヒンズークシュの山々をかすめながらの、スリルに満ちた飛行だった。1歩タラップに踏み出すと、強烈な7月の大陽が私を頭上から襲い、ガツンと顔面を殴られたような気がした。唇がサッと乾き、むき出しの腕が焦げていく。空港を囲む山々には、緑がほとんど見えない。赤茶けた裸の山肌の間から、雪を冠ったティリチミール(7706m)の頂がのぞいていた。



 チトラルからジープで1時間ほどクナール川沿いに南下し、アユーンという小さな町を経由して、カラーシャ族の住むムンムレット谷へと向かった。カラーシャ族は、チトラルの南にある3つの谷にひっそりと暮らす少数民族で、現在の人口は2000人にも満たない。独自の多神教を守り続けているため、一神教を信じる周囲の回教徒から「異教徒」(カーフィル)と呼ばれている。

 1978年以来、私は3回にわたって、のべ1年近くカラーシャ族の村に滞在し、言葉を習ったり、農作業や牧畜を手伝いながら「異教徒」たちの儀礼や祭りに参加してきた。とくに印象的だったのが、毎年12月のチョウモス祭で行なわれる「びっこの動物」という、家畜の安全を祈願する祭事である。1日目、神殿の柱や壁などに墨でヤギやヒツジの絵を描き、動物の形をしたパンを焼く。そして翌朝、そのパンを壊してびっこにしてから、村中で大騒ぎをすると、絵やパンから動物たちの魂が抜け出して、谷の奥の放牧地にある「聖なる岩」に、絵となって貼りつくという。村人のほとんどがその岩絵を見たことがなく、一種の畏れと憧れをこめて熱っぽく語るのを聞くうちに、どうしても行ってみたくなってしまい、84年の夏、再びムンムレット谷にやってきたのである。



 茶褐色だけだったチトラルとうって変わって、ムンムレット谷は緑にあふれていた。すくすくと伸びたトウモロコシ畑がエメラルド色に輝き、クルミの大木が涼しげな木陰をつくっている。アンズの実を集めて日に干したり、除草のために畑を耕したり、カラーシャたちは農作業に忙しい。

 ウチャオといわれる夏祭りが終わり、谷がいくぶん秋めいてきた9月半ば、3人の若者と共に、私は岩絵の眠る放牧地へと出発した。その辺りはアフガニスタン国境に近く、外国人の立入りは許されていないのだが、チトラルの知事が特別に3日間の許可証を発行してくれたのだ。

 1日目は標高2000mの村からずっと川筋を遡り、途中から山腹のヒマラヤ杉の樹林帯の中を一気に登りきって、アングラクビリッジという放牧地へ行き、1泊した。標高は3300m。下界が一望のもとに見渡せ、はるか遠くに村も見える。放牧地というと、草地の広がった平らな所を想像してしまうが、そこはもう岩壁と呼んでもおかしくないほどの岩だらけの急斜面だった。石造りの粗末な夏小屋が、斜面にしがみつくようにして建てられている。村が高温になる6月から10月までの間、すべての家畜がこうした高地に連れてこられ、放牧されるのだ。そして男たちは長期間山にこもり、家畜の番をする。



 乳しぼりやチーズ作りを手伝ったりして楽しい一夜を過ごし、翌朝、ヤギの放牧に向かった。ヤギは岩登りの名人である。岩の割れ目に生えた草をはみながら、小さなスタンスを巧みに利用して、ぐんぐんと登っていく。人間には越えられないオーバーハングも、岩に体をこすりつけながら楽々とトラバースしてしまうので、後からついていった私は、ひどい目に遭ってしまった。

 久しぶりの岩登りに汗をかきながら、昼近くウストゥイという放牧地にたどり着いた。ムンムレット本谷から枝分かれした支谷が、間近に迫ったアフガニスタン国境の稜線まで続いている。カラーシャ族の足で、3時間ほどだそうだ。チーズ作りの手を休めた男たちに国境まで誘われたが、時間に余裕のない今回は、見送るしかなかった。



 ウストゥイ谷を駆け下って再びムンムレットの本流にもどり、なおも上流に川原を進んで、いよいよ岩絵のあるオータク谷へと入った。ここは荒涼とした所で、木が1本もなく、大小の岩が折り重なるようにして谷を埋めつくしている。何度も渡渉を繰り返し、岩から岩へと飛び移りながら3時間ほど歩くと、にわかに谷が広がり、めざす「聖なる岩」にたどり着いた。

 岩壁にあるとばかり思っていたのに、川原に転がっている3つの岩の上や側面に、岩絵は刻まれていた。真っ黒な岩の表面を削って、ヤギや人間、抽象文様などが彫りこまれている。パキスタン北部に点在するスキタイ風の動物文様や仏塔の岩絵とは、少しモチーフが違っているようで、チョウモス祭でカラーシャたちが描く絵そのものだった。風化が進んでぼやけてきた絵も多く、数年後にはそのほとんどが消えてしまうことだろう。そのときカラーシャたちは「びっこの動物」の祭事をどのように行なうのだろうか。岩絵が無事かどうか見届けてきてくれ、と心配顔で語った長老の顔が、ふっと浮かんだ。

 夢中になってシャッターを切るうちにどんどん時間が経ち、やがて深まりゆく夕闇のなかに岩絵は沈んで見えなくなった。このオータク谷も、いちばん奥はアフガニスタンに続いていて、そこから吹いてくる風は、身を切るように冷たい。



 翌日は、朝から雪になった。標高4000m地点まで登って狩りをし、岩ネズミを撃ったが、あまりの寒さに耐えきれず、たった2頭を仕留めただけで退散し、逃げるようにして村にもどった。たった3日留守にしていただけなのに、秋は深まり、トウモロコシの収穫が始まっている。

 谷の奥の方を見ると、山々が雪で真っ白になっていた。家畜が村にもどってくる日も、もうすぐだ。