特集・地球トイレ体験 〈手記特集〉地平線仲間の体験的排泄考 石を愛用するカラーシャ族 丸山純 『地平線から・7』 pp.176-180 地平線会議 1987.11.1 |
彼らの家には、便所というものがなく、男たちは、村の背後の急斜面に広がるカシ林まで登っていって、用をたす。大小の石が折り重なるガレ場の急斜面を、一歩ずつ慎重にバランスをとりながら登っていかなければならず、往復するだけでも10分以上かかってしまう。
女たちは、村はずれの涸れ沢を用たし場として使う。村より高いところは、神々や妖精たちが住む 聖なる場所 と考えられているので、 穢れた存在 と見なされている女たちは、カシ林に立ち入れないのだ。カラーシャ族の社会には赤不浄が残っていて、生理や出産の期間中、女たちは忌み小屋にこもる。
何ヵ月もしてから、この切実なる悩みを親しくなった村の青年、ベークに相談したところ、彼は大笑いをして、あの場所は女の用たし場なのだ、と教えてくれた。そうか。道理で、いつも顔を合わせるのは女ばかりだったのか。知らなかったとはいえ、ずっと女たちに気まずい思いをさせてしまい、悪いことをした。さらにベークは、女の排泄物を男が踏むと、天候が悪くなったり、不吉なことが起こるといわれているので、男はカシ林まで登っていってするものだよ、と忠告してくれた。
その後、私もカシ林まで行くようになり、睡眠不足の悩みは解消したが、毎朝、立っているのがやっとという急斜面を登るのは、なかなか大変だ。とくに苦労するのが、ひと晩じゅう雪が降りつづいたときで、さらさらの新雪を一歩ずつ踏み固めながら登っていかなければならない。滑落して斜面を下まで転げ落ち、雪まみれになったことも何度かある。おかげで冬の滞在には、皮製の登山靴と防水オイルが欠かせない。
根雪が積もる冬はともかく、この土地は極度に乾燥した気候なので、人や動物の排泄物はたちまち干からびてしまう。カシ林や涸れ沢に行っても臭いはないし、土と化してしまうのか、あるいは粉々になって飛び散ってしまうのか不明だが、大量に雲古が堆積しているということもなく、そんなに不潔感は感じない。とくに晩秋になって、谷の奥の放牧場から戻ってきたヒツジが村で放牧されているときには、朝から村のなかをうろついているヒツジがきれいに食べてしまうので、清潔そのものだ。ただし、お尻の下に鼻を突っこもうとするヒツジたちを追い払いながら用をたすのは、どうも落ち着かない。
さらに、ヒツジだけではなく、犬も人間の雲古を食べる。村にいる犬は残パン(飯ではなくパン)に恵まれているせいか、見向きもしないが、放牧地でヤギやヒツジの番をしている牧童犬は、いつも腹をすかせていて、人が雲古をするのを待ちかまえている。ヒツジなら、手でひっぱたくだけで離れていくが、見知らぬ者が家畜に近づくと喰い殺してしまう獰猛な犬に周囲をうろつかれると、出るモノも出なくなってしまう。しかも一頭だけではなく、数頭がうなり声をあげて互いに牽制しながら、目を光らせてねらっているのだ。そのため、毎朝しゃがみこむ前に手頃な石をいくつも準備しておき、次々と投げつけながら用をたすことになる。
放牧地では、村と違って水が得にくい。泉まで往復1時間ということもある。水ではなく、石で処理するというカラーシャ族の習慣も、もともとはこういう放牧地での暮らしからきているのかもしれない。さまざまなデータを検討すると、現在は農耕への依存度が高いカラーシャ族も、元来は牧畜中心の生活をしていたのではないかと思われる節が少なくないが、この石を使うということも、ひとつの手がかりとなるように考えられ、大変興味深いと思う。
彼らが石で処理していることを教えてくれたのもベークだった。村入りした当初、私はここでも当然水で処理しているのだとばかり思い込み、毎朝恥ずかしげもなく、小さなアルミの鍋に水を入れて用たし場に出かけていた。ところがカラーシャ族も、パキスタンの他の地方では水を使うことを知っているから、これは人前でトイレットペーパーをひらひらさせて「これから私は雲古をします」と宣言して歩いているようなものだ。他の地方だと、そのために使う水差しをぶら下げている者どうしが出会っても、やあ、あんたもですか、というニヤニヤ笑いを互いに交わすだけなのだが、私が鍋をぶらさげて出かけるのは、村じゅうの話題になっていたらしい。それをベークがさりげなく忠告してくれ、以後、私はトイレットペーパーを使用するようになった。
また、「どこへ行くのかい?」という彼らのお決まりの挨拶にも「雲古をしに」と正直に答えてはいけない。「ちょっと用を済ませに」と言うんだ、と教えてくれたのも、ベークだ。家畜の糞については明けっぴろげなカラーシャ族も、人間の排泄行為に関しては案外シャイでつつしみ深い。立ち小便をするのは子供だけで、大人はしゃがんでするもんだと、そっと注意してくれたこともあった。
村ではすべてにわたって“先生”であるベークに、今度は私が洋式便器の使い方を教えてやったのだが、まず日本人にもよくあるとおり、腰かけてやると、どうしても出るべきものが引っ込んでしまうという。結局、便器の上に登ってすることになる。これはまあ、仕方がない。なにしろ室内で用をたすこと自体が、初めてなのだから。問題はそのあとで、紙で拭くとどうもきれいになった気がしないし、水で洗うのは気持ちが悪くていやだと言い張って、一度ずつ試みてやめてしまった。直接お尻に指が触るのがいやらしい。それで、どうしたか。なんと彼は、地震のときに壁からはがれ落ちたしっくいの破片を使って拭いたという。
思わず絶句してしまったが、なるほどと納得した。ことこの問題に関しては、どうやら慣れ親しんだ習慣から抜けだすのは、大変困難なことのようだ。自分の価値感が絶対だと思ってはいけない。その後何日か滞在しているうちに、しっくいの破片がなくなると、ベークは外から石を拾ってきて、さらに私を呆れさせた。