特集・地球トイレ体験
〈手記特集〉地平線仲間の体験的排泄考

石を愛用するカラーシャ族


丸山純

『地平線から・7』 pp.176-180 地平線会議 1987.11.1




 1978年から6回にわたって、私はパキスタンの北部山岳地帯に住むカラーシャ族の村を訪れているが、回数を重ねるにしたがって、しだいに彼らの暮らしぶりに染まっていくのが、自分でもよくわかる。カラーシャ族は半農半牧の民なので、最初のうちは、ブルーチーズより臭い熟成したチーズや、屠殺したばかりのヤギの内蔵を食べさせられて大いにとまどったものが、だんだんそれも苦にならなくなって、今では東京にいるとあの味が恋しくなるときさえあるほどだ。味覚の問題に限らず、文化の相違からくる心理的な抵抗感は、慣れが解決してくれるのだろう。



 しかし、今後いくら頑張っても絶対に真似できないだろうとあきらめていることがひとつある。それは、雲古(開高健氏の表現を借用)をしたあとに石でお尻を拭くという習慣である。パキスタンの他の地方では水でお尻を洗うのだが、山奥に住むカラーシャ族は、そのへんに転がっている平べったい石ころを使う。大人も子供も、男も女も、ちょこっと石ころで拭くだけ。それでおしまい。私も一度ならず挑戦してみたが、硬い物をデリケートな部分に当てるのは、想像以上に勇気が必要だった。それに、表面に付着している砂や土をいくらこすり落としたところで不潔感はぬぐいきれず、なんとなく気持ちが悪い。まして、その石が以前誰かに使用された可能性も充分ありうるのだから、なおさらだ。今後どんなに長く彼らの村に滞在したとしても、これだけはとうてい馴染めそうにないと思う。



 カラーシャ族が住んでいるのは、ヒンズークシュ山脈にある三つの谷間で、村は、川からずいぶん登った谷の南向き斜面につくられている。標高は約2000メートル。水路や泉などの水汲み場は村から数分から10分以上も離れていて、食事のたびに女たちがミルク缶やカメを持って水汲みに行く。ただし彼らは、貴重な水をけちけち惜しんだりはしない。炊事や洗濯、食器洗いなどにもふんだんに水を使い、足りなくなればまたせっせと水汲みに出かける。水に不自由しているから石を使って事後の処理をする、というわけではなさそうだ。

 彼らの家には、便所というものがなく、男たちは、村の背後の急斜面に広がるカシ林まで登っていって、用をたす。大小の石が折り重なるガレ場の急斜面を、一歩ずつ慎重にバランスをとりながら登っていかなければならず、往復するだけでも10分以上かかってしまう。

 女たちは、村はずれの涸れ沢を用たし場として使う。村より高いところは、神々や妖精たちが住む 聖なる場所 と考えられているので、 穢れた存在 と見なされている女たちは、カシ林に立ち入れないのだ。カラーシャ族の社会には赤不浄が残っていて、生理や出産の期間中、女たちは忌み小屋にこもる。



 最初のうちは様子がまったくわからなかったから、私も女たちと同様に涸れ沢の近くで用をたしていた。緑色に輝くトウモロコシ畑が眼下に望め、外でするのは大変気分がいいものだが、いつ人が来るのかと気になって仕方がない。女たちに至近距離からばっちりと見られてしまうことが何度もあり(逆にこちらがその最中に踏みこんでしまうこともあったわけだが)、結局、村人の誰よりも早く起きて、一番先に済ませてしまう習慣ができあがってしまった。しかし、夜遅くまで日記を書いたりしているため、どうしても睡眠不足気味になる。

 何ヵ月もしてから、この切実なる悩みを親しくなった村の青年、ベークに相談したところ、彼は大笑いをして、あの場所は女の用たし場なのだ、と教えてくれた。そうか。道理で、いつも顔を合わせるのは女ばかりだったのか。知らなかったとはいえ、ずっと女たちに気まずい思いをさせてしまい、悪いことをした。さらにベークは、女の排泄物を男が踏むと、天候が悪くなったり、不吉なことが起こるといわれているので、男はカシ林まで登っていってするものだよ、と忠告してくれた。

 その後、私もカシ林まで行くようになり、睡眠不足の悩みは解消したが、毎朝、立っているのがやっとという急斜面を登るのは、なかなか大変だ。とくに苦労するのが、ひと晩じゅう雪が降りつづいたときで、さらさらの新雪を一歩ずつ踏み固めながら登っていかなければならない。滑落して斜面を下まで転げ落ち、雪まみれになったことも何度かある。おかげで冬の滞在には、皮製の登山靴と防水オイルが欠かせない。



 日本では、私は朝食後にトイレに行く習慣をつづけているが、カラーシャ族の村にいると、目覚めると同時に強烈にもよおしてくることがほとんどである。これはおそらく、食事のせいだろうと思う。主食が、ふすま入りの小麦粉やトウモロコシの粉で焼いたパン(チャパティ)なので、消化しきれずに排泄される部分がものすごく多い。人間のモノとは思えないような立派な代物に、自分でも呆れてしまうことがしばしばある。これを腹のなかに入れて急斜面を登るのは、大変な苦行だ。とりわけ雪の朝などは、必死の思いをすることになる。

 根雪が積もる冬はともかく、この土地は極度に乾燥した気候なので、人や動物の排泄物はたちまち干からびてしまう。カシ林や涸れ沢に行っても臭いはないし、土と化してしまうのか、あるいは粉々になって飛び散ってしまうのか不明だが、大量に雲古が堆積しているということもなく、そんなに不潔感は感じない。とくに晩秋になって、谷の奥の放牧場から戻ってきたヒツジが村で放牧されているときには、朝から村のなかをうろついているヒツジがきれいに食べてしまうので、清潔そのものだ。ただし、お尻の下に鼻を突っこもうとするヒツジたちを追い払いながら用をたすのは、どうも落ち着かない。

 さらに、ヒツジだけではなく、犬も人間の雲古を食べる。村にいる犬は残パン(飯ではなくパン)に恵まれているせいか、見向きもしないが、放牧地でヤギやヒツジの番をしている牧童犬は、いつも腹をすかせていて、人が雲古をするのを待ちかまえている。ヒツジなら、手でひっぱたくだけで離れていくが、見知らぬ者が家畜に近づくと喰い殺してしまう獰猛な犬に周囲をうろつかれると、出るモノも出なくなってしまう。しかも一頭だけではなく、数頭がうなり声をあげて互いに牽制しながら、目を光らせてねらっているのだ。そのため、毎朝しゃがみこむ前に手頃な石をいくつも準備しておき、次々と投げつけながら用をたすことになる。

 放牧地では、村と違って水が得にくい。泉まで往復1時間ということもある。水ではなく、石で処理するというカラーシャ族の習慣も、もともとはこういう放牧地での暮らしからきているのかもしれない。さまざまなデータを検討すると、現在は農耕への依存度が高いカラーシャ族も、元来は牧畜中心の生活をしていたのではないかと思われる節が少なくないが、この石を使うということも、ひとつの手がかりとなるように考えられ、大変興味深いと思う。



 排泄という行為は、きわめて個人的な次元に属する問題なので、よっぽど親しい友人でもできないかぎり、なかなか実態はつかめないし、彼らの日常に少なからず迷惑をかけたり、おかしな失敗に気づかないで過ごすことも多い。私の場合も、ベークという親友がいなければ、ずっと女の用たし場を使いつづけていたに違いない。

 彼らが石で処理していることを教えてくれたのもベークだった。村入りした当初、私はここでも当然水で処理しているのだとばかり思い込み、毎朝恥ずかしげもなく、小さなアルミの鍋に水を入れて用たし場に出かけていた。ところがカラーシャ族も、パキスタンの他の地方では水を使うことを知っているから、これは人前でトイレットペーパーをひらひらさせて「これから私は雲古をします」と宣言して歩いているようなものだ。他の地方だと、そのために使う水差しをぶら下げている者どうしが出会っても、やあ、あんたもですか、というニヤニヤ笑いを互いに交わすだけなのだが、私が鍋をぶらさげて出かけるのは、村じゅうの話題になっていたらしい。それをベークがさりげなく忠告してくれ、以後、私はトイレットペーパーを使用するようになった。

 また、「どこへ行くのかい?」という彼らのお決まりの挨拶にも「雲古をしに」と正直に答えてはいけない。「ちょっと用を済ませに」と言うんだ、と教えてくれたのも、ベークだ。家畜の糞については明けっぴろげなカラーシャ族も、人間の排泄行為に関しては案外シャイでつつしみ深い。立ち小便をするのは子供だけで、大人はしゃがんでするもんだと、そっと注意してくれたこともあった。



 こうしていつも世話になっているお礼の意味で、一度ベークを首都のイスラマバードまで連れて行ったことがある。まだ電気のない山奥でヤギの世話をしているだけの青年が、飛行機に乗り、ちゃんとしたホテルに泊まった。見るもの聞くもの、すべてが珍しく、カルチャーショックは大きかったようだが、夜になっても昼間のように明るい蛍光灯にも、生まれて初めて入った風呂にも、ナイフとフォークでする食事にも、すぐ慣れた。あまりに素早く、完全に文明生活に適応してしまうので、こっちが呆れかえったほどだが、たったひとつだけ、彼がどうしても馴染めないことがあった。それは、トイレの問題である。

 村ではすべてにわたって“先生”であるベークに、今度は私が洋式便器の使い方を教えてやったのだが、まず日本人にもよくあるとおり、腰かけてやると、どうしても出るべきものが引っ込んでしまうという。結局、便器の上に登ってすることになる。これはまあ、仕方がない。なにしろ室内で用をたすこと自体が、初めてなのだから。問題はそのあとで、紙で拭くとどうもきれいになった気がしないし、水で洗うのは気持ちが悪くていやだと言い張って、一度ずつ試みてやめてしまった。直接お尻に指が触るのがいやらしい。それで、どうしたか。なんと彼は、地震のときに壁からはがれ落ちたしっくいの破片を使って拭いたという。

 思わず絶句してしまったが、なるほどと納得した。ことこの問題に関しては、どうやら慣れ親しんだ習慣から抜けだすのは、大変困難なことのようだ。自分の価値感が絶対だと思ってはいけない。その後何日か滞在しているうちに、しっくいの破片がなくなると、ベークは外から石を拾ってきて、さらに私を呆れさせた。