カフィリスタン・ムンムレット谷
カラーシャ交響曲「ジョシ」

小島令子

『季刊民族学』56 千里文化財団 pp.28-41 1991




「ジョシはほんとうにきれいな祭りだよ。なんといったって歌や踊りがたくさんある。おどって、おどって、おどって、おどって……」。

 パキスタンの北西辺境州の一角、アフガニスタンと接するヒンズークシュ山脈の山中に住むカラーシャ族は、人口2000人に満たない少数民族である。カラーシャは1年のうちに、さまざまな宗教行事をおこなうが、特に季節の変わり目に大がかりな祭りが開催される。ジョシはそのなかで春から夏へと季節が移行する5月の中旬、高地の放牧場に家畜を上げる前におこなわれる春祭りで、4日間にわたって歌と踊りがくりひろげられる。

 「ジョシの頃になると、シーチンの白い花や、黄色いビーシャの花も咲くし、クルミも緑の葉をたくさんつける。女の子たちはみんな新しい服をきて、野辺で花を摘み、家畜小屋からミルクを集め、そして一日中おどるんだ」。

 雪で閉ざされ、単調な生活がつづく長い冬のあいだ、カラーシャは華やかな歌と踊りにあふれたジョシを、心待ちにしている。そして野辺に少しずつやわらかな緑がよみがえり、それが谷全体にひろがってくるにつれて人びとの表情は明るくなり、だれもが目を輝かせながらジョシの話題でもちきりになる。

 ここでは、カラーシャが住む3つの谷のうちでもっとも大きいムンムレット谷の春祭りジョシをとりあげ、そこでうたわれるかずかずの歌を紹介するとともに、音楽と密着したジョシをとおして、カラーシャの音楽のひとつの在り方を示してみたいと思う。



■序奏……「異教徒」の響き

カラーシャは、周囲のイスラム教徒から「異教徒」とよばれ、多神教を信仰する特異な生活習慣を守ってきた。ジョシをはじめとする祭りで演じられる歌や踊りも、その小さな閉鎖的社会のなかで培われ、固有の様式を保持してきたのである。

 カラーシャの居住地と隣接するチトラル地域は、藩主を頂点とした階級社会であるが、その一番下のカーストとして、結婚式などで踊りの伴奏を演奏する職能的音楽集団が存在する。これとは別に、一般の人々によってうたわれる民謡も人気があり、日常生活のなかでごく一般的に、娯楽としての音楽が演奏されている。どちらの音楽も旋律には動きがあり、いわゆる長音階がもちいられる。

 対照的に、カラーシャの社会では音楽は単なる娯楽として演奏されるのではない。それは日常生活の延長というよりは、儀礼や祭りの式次第に付随して存在することが多い。

 カラーシャの音楽の中心となるのは、歌・踊り・太鼓の伴奏が一体となった、「チャー」「ドゥーシャク」「ダジャイーラック」という3つのパフォーマンスである。30〜500人ほどの人びとがあつまって、ジョシをはじめとする大きな祭りや、結婚式や葬儀などで盛大におこなわれる。歌の旋律は短2度音程、つまり半音という非常に狭い音程からなる2音旋律であることが特徴である。

 このほか、11〜12月におこなわれる結婚式の歌や、12月の聖なるチョウモス祭でうたわれる数かずの歌、秋の収穫時に演奏される笛の音楽などがあるが、いずれにしても、カラーシャの音楽は歌が中心で、その旋律は音域が狭く、音の動きが少ない。しかしこのような限定された旋律のなかで、神話や歴史をはじめ、さまざまな内容が表現される。文字をもたないカラーシャにとっては、歌こそが、その特異な文化を伝承する唯一の媒体なのである。

 最近になって、カラーシャの文化は急速にイスラム化していく傾向にある。一部の若者のなかには、日頃接触が多いチトラルやアフガニスタンの音楽、さらにラジオから流れる流行歌や映画音楽を好む者が増えてきた。しかし前述したように、音楽は祭りの一部として毎年くりかえし演奏され、部外者を排したうえでうたわれる歌など、排他的な環境の中で演奏されるものがすくなくない。音楽はほかの文化と比べて、外部の影響をそれほど受けずに存在してきたという面もある。カラーシャが「異教徒」としてかたくなに守ってきたアイデンティティは、音楽のなかに色濃く保たれているといえよう。




■第1楽章……軽やかな黄色の奔流

 酸っぱいキラをおくれよ、ヤギ番の兄さん
 キラよ、キラよ、家畜小屋を花で飾りなよ
          『酸っぱいキラ』より
 
ジョシの第1日目は、子どもたちが歌をうたいながら野辺にビーシャの花を集めにいく「プーシェン」という行事をおこなう。

 ビーシャは鮮やかな黄色い花をつける豆科の低木で、この時期、谷のあちこちに咲きみだれる。急に日差しが強くなり、少し汗ばむような空気の中で、その色彩はまばゆく、印象的だ。子どもたちは競いあい、かん高い声をかけあいながら山の急斜面にのぼり、花をみつけては再び歓声をあげて走りよる。

 腕いっぱいに花をかかえた女の子たちのあとを、男の子たちが太鼓をかかえてついてくる。ところどころで太鼓を演奏すると、女の子たちはうたいながら3、4人ずつ肩をくんでくるくるまわったり、『花いちもんめ』と似たような踊りをおどりだす。かろやかな旋律にのったいきいきとした歌声は、こぼれる笑い声とともに、春の青い空にすいこまれる。

 この日うたわれるのは、『酸っぱいキラ』と『チーリック・ピピ』というふたつの歌である。これは軽快な2拍子の歌で、旋律は最初に勢いよく3つの音をのぼると再びさがり、あとはとなりあったふたつの音のあいだを上下する。つまり、半音+全音の3音旋律で、E→F→G→F→E音の山型の歌い出しのあと、F→E音の下行する半音の旋律が反復される。旋律の中心となるのはこの下行する半音で、これはカラーシャの歌のほとんどに共通する一般的な旋律の形である。

 歌詞にはチーズや乳などの牧畜に関するものがうたわれている。歌詞の主題の『酸っぱいキラ』の「キラ」とは、ヤギの乳から作られる特別なチーズで、キラが作れるほどヤギが充分乳を出すようにと、牧畜の豊穰が願われる。また『チーリック・ピピ』は醗酵して酸っぱくなった山羊の乳を飲むことを意味し、これは翌日の行事の名称でもある
。  牧畜の豊穰は、単に歌としてうたわれるだけでなく、夕方に男たちが催す牧畜儀礼「ゴシュティーレイ」で、家畜の安全とともに本格的に祈願される。



■ジョシ・第2楽章……女たちの華やいだ声

  家畜小屋にいったよ、いったよ
  乳をのんでこんなに大きくなったよ
  コブ牛よ、おまえはどこにいるんだ
  あっちの繁みでビーシャの根っ子をかじってるのか
  あっちの繁みでカンダの根っ子をかじってるのか

        『チーリック・ピピ』より

 翌朝まだ暗いうちから、子どもたちが野辺から集めてきたビーシャの花が、クルミの葉とともに女神ジェシュタクの神殿や家畜小屋にかざられる。村全体が黄色と緑の鮮やかな色彩に包まれ、春の輝きにあふれる。

 朝食をすませると、今度は女たちが村の各所に点在する家畜小屋を訪れてヤギの乳を集めてまわる「チーリック・ピピ」がはじまる。前日は子どもが中心だったが、この日は年配の女たちも参加し、村中の女が総動員される。ふだんはめったに笑わない気難しい女も、踊りには参加しないような物静かな女も、それぞれ乳を入れるためのバケツやヤカンを手に、うたいながらぞろぞろと、村のなかや野辺を歩いていく。バケツのガチャガチャぶつかる音とはずむ歌声が、静かな野辺ににぎやかに響きわたる。そして行列がめざす家畜小屋につくと、さらに声をはりあげてうたい、牧童にヤギの乳を催促する。

 この日も、『酸っぱいキラ』と『チーリック・ピピ』の歌と踊りが、前日と同じようにおこなわれるが、女たちがせいぞろいするためにいっそう華やかになる。太鼓をたたくのも、昨日の少年から年長の者にかわり、そのリズムは力強く、活気がはいる。

 太鼓は右手はバチ、左手は素手でたたく筒型のダウと、両手とも素手をもちいる砂時計型のワッチという2種類の太鼓である。このふたつは常に一組になり、あとでのべるチャーの速いリズムをとぎれることなくたたく。

 女たちは踊りをおどっては木陰でやすみ、弁当をひろげたりしながらのんびりと、午前中いっぱいかけて村のあちこちにある家畜小屋をまわっていく。



■ジョシ・第3楽章……からみあう旋律の妙味

  ジョシの来た里よ
  シーチンの花が呼びかける
  ここにおいでよ、私のもとにおいで
  私の香りをお前にあげよう

        『ジョシの来た里よ』より

ジョシの3日目の朝、赤ん坊とその母親を浄める通過儀礼「グイパリック」がおこなわれる。このあと、いよいよジョシの本格的な歌と踊り「小ジョシ」がはじまる。

 それぞれの村でひとしきり歌と踊りがおこなわれたあと、谷にある五つの村のカラーシャがすべてまんなかのバトリック村に集まる。これまではおもに女子供が中心となって行事がおこなわれていたが、この日からは、共同体全体が祭りに参加する。



●速いリズム、速い踊り、即興の歌「チャー」

 まず最初、威勢のいいチャーで幕があく。

 チャーでは、長老を中心とした5〜15人ほどの歌い手たちが輪をつくってかたまり、あまり抑揚がない語るような早口で、短いフレーズをひとりずつうたっていく。その傍らではふたりの太鼓奏者が速いリズムをたたき、踊り手たちは3〜4人で肩をくんで、短いフレーズをうたいながら、歌い手たちのまわりをまわる。途中でくるくる回転したり、『酸っぱいキラ』や『チーリック・ピピ』の歌と踊りも挿入され、動きのある、速い踊りが展開する。

 ジョシのチャーは『シャーラ来たり』と『神がみが来たり』が中心で、ひとつの主題を歌い手がひとりずつ、即興でうたいついでいくという形をとる。『シャーラ来たり』の場合は、カラーシャが神聖視している野生のヤギ(マークホールヤギ)が、春の雪解けにつれて次第に山の高地へ上がっていく様子が讃美され、同様に『神がみが来たり』では、「神がみが集まってくるほどすばらしい」ジョシを讃え、ジョシの祭りが到来した様子をうたっていく。

  シャーラ来たり、
  下のマカコールより列をなし、
  見事なる角に影おちたり


 歌の旋律はF音とE音がくりかえされる半音からなる2音旋律である。踊り手の歌は、この旋律に「オー」あるいは「ライラロー」という短いフレーズをのせるだけだが、歌い手は、上のF音のなかにほとんどの歌詞をたたみ、最後に下のE音におちるという方法でうたう。この語りのような独唱がおわると、全員で手をたたきながら、「アーアーオーオ」とF→E→C→Hの下行旋律をゆっくり合唱して、そのあと独唱者が交代する。

 太鼓は、ダウが一拍を3分割するリズムをたたくあいだ、ワッチは2分割のリズムをたたき、この2分割と3分割がくみあわさった速いリズムがパフォーマンスの基盤となる。

 歌い手たちは杖を手に、軽くステップをふんで体を動かしながらうたっていく。1曲は15〜30分かけてうたわれ、歌い手たちが一巡すると、次のパフォーマンスに移行する。



●歌い手の個性をひきだす「ドゥーシャク」

 チャーからドゥーシャクにうつると、踊りも変化する。踊り手たちは4〜10人ほどで肩をくみ、内側をむいて比較的速いステップで、中心にいる歌い手たちのまわりを横に移動していく。太鼓のリズムも変わり、チャーと同じリズムパターンを、2拍子か4拍子のアクセントをつけて演奏する。

 歌い手は、歌を独唱する先唱者とその歌をそのまま復唱する合唱者にわかれる。この独唱と合唱をくりかえしてからは、独唱者が交代し、今度は節回しをかえ、歌を即興していくノーム・ノメック(音頭を取る)という部分がうたわれる。1曲には30分〜1時間費やされる。

 歌の進行はチャーとはことなっているが、旋律の骨格はチャーの独唱部分と同じ半音を構成るす2音旋律である。ただしノームノ・メック部分は、この2音旋律にもどりながらも、歌い出しの部分ではC♯・H・A音がもちいられることもあり、この部分では歌い手の個性が発揮される。独唱者たちはここぞとばかり抑揚をつけてこのノーム・ノメック部分をうたい、まわりの者は、それに対して讃辞の掛け声を威勢よくはさんでいく。

 ジョシの最初のドゥーシャクとしてうたわれるのは『ジョシの来た里よ』である。春の喜びや自分たちの土地の恵みの豊かさがうたわれ、ジョシの到来をうたった美しい歌として、人びとに愛唱されている。



●2時間にもおよぶ叙事詩「ダジャイーラック」

 景気づけにチャーとドゥーシャクが何曲か演奏されたあと、ダジャイーラックがはじまる。ダジャイーラックは3つのなかでは歌としての格が一番高く、ダジャイーラックがうたえる者こそ、本当の歌自慢とされる。歌の旋律と歌い方はドゥーシャクとまったく同じであるが、歌詞は1音節ずつ長くのばして非常にゆっくりうたわれる。ノーム・ノメック部分も長時間にわたっておこなわれるため、30分〜2時間に及ぶものもある。

  いざ讃えん、そなたたちを
  耳を澄ませ、ラジャワイ王の子孫たちよ
  祖先は王として君臨され
  美しく変えたもう、バトリックの谷間を


 独唱者が目をつむって考えこむように、ゆっくりダジャイーラックをはじめると、歌い手のまわりに人垣ができる。それが新しい歌であれば、その歌を覚えようと、さらに人垣がふくらむ。1音ずつたしかめるように、静かにうたわれる旋律は、もの悲しい響きとなり、人びとのざわめきのなかで、消え入りそうになる。

 先唱者がうたい終えると人々は散っていき、ダウもワッチもともにゆっくりとした3拍子のリズムをきざみはじめる。踊り手たちは今覚えたばかりの歌をうたいながら、10〜30人ほどで肩をくみ、ゆっくりと歌い手たちのまわりをまわっていく。

 数世紀前にカラーシャの谷に入ってきた西欧の探検家たちはカラーシャの音楽をきいて、「まるでグレゴリオ聖歌のようだ」と驚きを表現している。チトラル地域などの威勢のいいイスラム的な音楽と比べると、確かにカラーシャの音楽はおごそかな響きをもつ。旋律自体には強弱がなく、となりあった音を静かに動いていく様は、教会音楽を連想させるものがある。

 カラーシャの音楽における厳粛な雰囲気は、いくつもの旋律が重なることによって生じる厚みのある音の響きでかもしだされる。

 このような音の重なりは、旋律型の原則にしたがっていれば、その細部の歌いまわしは各自の自由にまかされていることから生じる。つまり、完全に同じ旋律が同時に合唱されることがないのだ。さらに半音を構成する2音のあいだを動く旋律であれば、開始音がどの音でなければならないという決まりもない。ある者はE音から旋律をはじめても、他の者はG音、H音などから開始することもあり、同時に、さまざまな音高の旋律がうたわれることになる。カラーシャの音楽ではこのような開始音の違いと旋律の微妙な違いにくわえて、うたうタイミングもずれる。つまりヘテロフォニーが生じるのである。

 ヘテロフォニーは、歌い手たちの合唱だけでなく、踊り手たちの合唱にも生じ、祭の場全体には、さまざまな旋律が同時に響くことになる。集まる人数が多ければ多いほど、旋律は何重にも重なり、からみあい、複雑な響きが空間をうめつくす。



●女と男がおりなす多層的な響き『ガンドーリ』

 各村から人びとが集まり、バトリック村のはずれにある広場でひとしきりチャー、ドゥーシャク、ダジャイーラックがうたわれると、祭りの場は村の中央にある広場に移る。その際ふたつの広場をむすぶ小径で、『ガンドーリ』という特別な歌がうたわれる。

  ナーリとアスールを飾れ、
  おおガンドーリよ、乳よ豊かなれ……
  ブラシンゲ氏族の美しい神殿もかざれ、
  おおガンドーリよ、乳よ豊かなれ……


 歌詞は、イスラム教に征服される以前に、カラーシャが居住していた地域の地名を順番にあげていくもので、この歌をとおして、広範囲に勢力を及ぼしていた「異教徒」たちのかつての栄華が讃えられる。

 歌の先唱者としての役目は、一番川上の村のある家族の長子に代々受け継がれている。この先唱者がチャーと同じ太鼓のリズムにのってA→F→Eの下行する旋律で地名をあげる前半部をうたうと、男たちが後半の決まり文句となった祈りの部分をF→Eの半音を構成する2音旋律でれぞれ合唱する。

 女たちは男たちとわかれて小径の前の方に集まり、春を象徴するクルミの枝をこぎざみにうちふるわせながら、女たちだけで祈りの部分のを各自でゆっくりとうたう。ここでもそれぞれの音高とタイミングでうたうため、いくつもの旋律が重なりあう。

 踊りがないため、祭りの空間は「動」から「静」へとかわり、クルミの葉がカサカサと小さくゆれて空気をふるわせ、体をよせあってうたう人々の歌声も、共鳴しあう。いくつもの層を形成しながらゆっくり重なる多重的な音響空間がすべての人々を包み込むこむとき、カラーシャはひとつになる。

 先唱者がいくつかのフレーズかうたうと、人々は村の広場へ向かってゆっくりと動きだす。祭りの場を移すと、女たちは川上の村と川下の村のふた手にわかれて、肩をくんで長い列になる。そしてそれぞれ交代で『ガンドーリ』をまだうたいつづけている男たちを締めつけるように、渦巻き状になったりまた大きくなったりして、その渦の大きさを競う。 人々は強い日差しをさけるため、ときおり木陰で休んだり、お茶をふるまう出店のまわりで、久しぶりに会った遠くの親戚たちと話しこむ。しかし太鼓のリズムは途切れることない。日が暮れるまでチャー、ドゥーシャク、ダジャイーラックの3つのリズムを、くりかえしきざんでいく。




■終楽章……儀礼としての音楽

  ダギナイ−−かの偉大なる谷間の上に
  ウチャオ月に先し月の頃
  我、山の牧に在り−−おお、ダギナイ
  ダギナイ−−尋き柄の小剣
  みぞおち深く刺さり−−おお、ダギナイ

           『ダギナイ』より

ジョシの最終日は「大ジョシ」とよばれる。再び谷中のカラーシャがバトリック村に集まり、前半は前日と同様に歌と踊りがくりかえされる。後半になると、ジョシのクライマックスともいえる、あらたな歌がうたわれはじめ、ジョシの最後をしめくくるにふさわしい、盛大な祭りとなる。



●聖なる『ガッチ』と『四つの遊び歌』

 大ジョシの日は、前日と比べてダジャイーラックの割合が多くなる。祭りの雰囲気にようやくなじんで、冬のあいだからこの日のために用意してきた新作のダジャイーラックを披露しようとする者がつぎつぎとでてくる。 そして夕方ちかくになったころ、聖なる『ガッチ』がはじまる。『ガッチ』とは、太鼓がたたく変則的なリズムのことで、このリズムは、外国人やイスラム教徒はもちろん、女にも絶対に聞かせてはならないとされている。このガッチのリズムをたたく役目は、一番川下の村の家族に代々受け継がれている。

 男たちは、女たちとはなれた畑のなかへ移動し、そこでこの太鼓のリズムを聞きながら、ナシの枝をうちふるわせる。そして特別な旋律で「オーオ」とうたい、牧畜と農耕の豊穰を願って、願をかける。少しはなれた所では、ひとりの男が聖なる乳を播く儀礼をおこなう。

 この間、女たちは、太鼓のリズムを聞かないように大きな声をだし、『4つの遊び歌』をうたい、おどる。

  ミウマオおばあちゃん
  これをあんたがたべなさい
  私には別のをおくれ


 『4つの遊び歌』は、ジョシの歌としては特殊な旋律であるが、冬のチョウモス祭では、これと似たものがいくつもうたわれている。全音+全音、つまりF音・G音・A音の3音旋律で、この3音の間を細かく動く似たような短いフレーズが、軽快な2拍子でくりかえされる。だれもがあらん限りの声を張りあげ、心地よいリズミカルな旋律をはずむようにうたう。しかしこの歌の場合も全員がきちんと声をそろえるわけではなく、ヘテロフォニーが生じて雑然とした大音響につつまれる。

 踊りは皆で手をつないだり、背中につかまってぐるぐるまわる、一種の遊びである。母親が子どもを肩車しておどるものもあり、女たちはジョシの祭りのなかで、何よりもこれらの踊りを楽しみにしている。男たちがおこなう厳粛な儀礼の傍らで、その聖なる雰囲気と競いあうかのように、女たちは高らかな叫び声や笑い声をあげて遊びに熱中する。

 男たちの儀礼や祈りがおわるころになると、女たちは遊びをやめ、ナシの枝をふるわせながら男たちを迎える。まだつづく『ガッチ』の太鼓の音がかき消されるように、お互いしばらく向きあって「オーオ」と下行する半音からなる旋律をうたうと、それまでの混沌とした遊びの渦のなかにあった祭りの場に、静的な音の重なりが響きわたる。そして太鼓のリズムがとまり、一斉にナシの枝を空高く投げすてると、再び太鼓は威勢よくチャーのリズムをきざみはじめる。男も女もそろって、我をわすれておどりだす。



●悲恋の歌『ダギナイ』

 爆発したエネルギーは、そのままジョシの最後をしめくくる『ダギナイ』に、一気になだれこんでいく。

 『ダギナイ』はチャーのリズムと旋律でうたわれる悲恋の歌で、次のような物語の断片をうたいついでいく。

  昔、ある男、その妻の妹と恋仲になりし
  嫉妬した妻、夫放牧地に行きし間に
  ヘビの毒を用いて妹を殺めし
  男、戻りて見ると、その恋人、毒により
  ビーシャの花の如く黄色くなり
  すでに息絶えて眠りし
  男、悲しみ、『ダギナイ』の
  歌をうたいしのち、自害せり
  男と恋人、別々の柩に入れられしも
  翌朝には一つの柩の中に眠りし
  驚いた人びと、再び二人引き離し
  別べつの柩に戻ししも、翌日もまた二人
  一つの柩のなかに収まりし
  二人の愛、かくの如く強し


 歌い手たちがうたっているあいだ、男も女も柳であんだ輪をそれぞれ手にもち、長く1本につながって鎖のようになり、大きく前後に動きながらジグザグにスキップしていく。この鎖が切れると、災いがあるといわれ、だれもが必死に輪を握りしめる。人びとの心をうつ感動的な歌詞にもかかわらず、激しい動きのために砂ぼこりがたちこめ、押しあい、引っ張りあい、ころんだ子どもは大きな声で泣きだす。着くずれした女たちも、この時ばかりはその姿に気をとめることもなく、ジョシの最後の熱気と興奮に巻きこまれる。

 突然、歌がおわる。太鼓のリズムがとぎれる。人びとは歓声をあげ、にぎりしめていた輪を空に向かって力いっぱいなげ、そしてたちすくむ。

 これで共同体としてのジョシの祭りは終了する。



●祭りは終わった。家路への送歌『キラよ』

 このあとも、うたいたりない者、おどりたりない者はのこり、チャーやドゥーシャクがつづく。しかし日が暮れるにしたがってしだいにその数はまばらになり、とうとう人びとを家路につかせるための最後の歌、『キラよ』になる。

 『キラよ』は、太鼓はチャーのリズムをきざむが、旋律や歌いかたはドゥーシャクと似ている。子どもたちは、この歌の歌詞の一部を借用し、『酸っぱいキラ』と『チーリック・ピピ』として、ジョシの初日からくりかえしうたいつづけてきたのである。ただし子どもたちがうたうふたつの歌は半音+全音の3音旋律であったが、この『キラよ』はドゥーシャクと同じで、半音だけからなる2音旋律としてうたわれる。

 ジョシのすべてをしめくくる歌として、『酸っぱいキラ』と『チーリック・ピピ』の牧畜の豊穰を願う歌詞が、本来の形で再現される。歌い手たちが早口にたたみこむようにしてうたう歌にまじって、踊り手たちは『酸っぱいキラ』を声をはりあげてうたい、肩をくんだ二組の踊り手が近づいたり離れたりする踊りを、かろやかにおどる。

 こうして最後のエネルギーを全て使い果たして、ジョシはおわる。





■後奏−−ジョシ祭りに固有の旋律

ジョシで高揚したカラーシャも、翌日からは、再び毎日の生活に戻る。その10日ほどあと、牧童たちは家族と別れ、家畜を山奥の高地にある放牧場へとつれていく。畑仕事も忙しくなり、村と離れた畑の近くの小屋に移り住む者もいる。ジョシとともに、季節は夏へと移り変わり、人々の生活も変化しはじめる。

 これからは7月の終わりまで、歌や踊りはない。本格的な牧畜が開始し、人々が離散して生活する直前に共同体全体がひとつになり、すべてのエネルギーを費やしておこなわれる祭り、−それがジョシである。そこではくりかえし牧畜の豊穰が願われるとともに、人々は足早に通り過ぎる春の訪れを体で感じ、楽しい遊びに興じる。

 人々はジョシの楽しさを口ぐちに語るが、それは3つのパフォーマンスよりは、むしろ初日からくり返される『酸っぱいキラ』や、4日目の『4つの遊び歌』の方をさしている。これらの歌は3つのパフォーマンスと比べると遊びの要素が濃く、旋律にも動きがあり、自然と体が動きだすようなリズムをもつ。  特に『酸っぱいキラ』は、チャーなどの半音からなる2音旋律が旋律の中心となるが、半音の上に付加された一番上のG音は、チャーをはじめ、他の歌にはない音である。これらの歌では、歌い手によっては半音を構成する2音以外の音を用いて旋律に変化をつけることもあるが、G音は常にとばされる音である。つまり3音旋律の『酸っぱいキラ』は、ジョシだけでもちいられる、ジョシ固有の旋律であるといえる。

 またこの歌は、ジョシの主題である牧畜の豊穰を願う、ジョシを象徴する歌でもある。ジョシの4日間、くりかえしうたわれることで、祭りの意味が常に喚起されていくのである。旋律の上からも歌詞の上からも、『酸っぱいキラ』こそ、ジョシの核となる歌といえよう。



●個人主義的社会の音楽・ヘテロフォニー

カラーシャの音楽はユニゾンでうたわれるのではなく、少しずつ異なった旋律が、異なったタイミングでうたわれる。これはパフォーマンス全体をとりしきるリーダーがいないため、各人が自由に、ばらばらにパフォーマンスに参加するためである。このヘテロフォニーの特徴は、カラーシャの社会の特徴と共通している。

 カラーシャの社会においては、全体をリードしていくような強力な統率者や、宗教的な指導者はいない。共同体は直接民主制といえるような形で運営され、個人の自由が尊重されている。団体行動というものはほとんどなく、農作業も牧畜もすべて、家族単位で営まれるのである。このような個人主義的なカラーシャの社会の在り方が、音楽に反映され、それがヘテロフォニーという音楽の形態を生みだしているといえよう。

 カラーシャは、歌をうたうとき、他の者と「合わせよう」とする意識はまったくない。これは歌い手の歌だけでなく、踊り手の歌でも同じであり、また、歌い手と踊り手の相互関係も、ときにはちぐはぐになることもある。つまり、歌い手たちの歌がもうすでにおわり、次のパフォーマンスにうつっているにもかかわらず、踊り手たちはまだ同じ前の踊りをおどっていることがしばしばある。太鼓奏者も、そのパフォーマンスの基盤となるリズムをたたくのであるが、それは太鼓同士でパフォーマンスを楽しんでいるのであり、歌い手や踊り手の伴奏をしている、という意識は全くないようだ。

 このように、カラーシャの音楽では相互関係が希薄であるが、各人が自由に自分のやり方で参加できるからこそ、全てのカラーシャがパフォーマンスに加わることができる。また歌の旋律も2音旋律という単純な形であるため、だれもが自己流で歌に参加できるのである。それぞれのやり方でパフォーマンスに参加することによって生じるヘテロフォニーの現象は、ダジャイーラックはもちろん、『ガンドーリ』や『ガッチ』など、すべてのカラーシャがそろって、カラーシャとしてのアイデンティティをもっとも強く意識するときに顕著になる。

 カラーシャはこのヘテロフォニーによって生じた多重的音響に身をおくとき、一体感をいっそう強く感じているにちがいない。